新型コロナウイルスによる長期休廊後に開催した『tender lights -Tone-』は、多くの方に明るいニュースを届けることができ、大成功の内に幕を閉じました。
その後に始まった、鉛筆画家つだなおこによる『薄明の輪舞-ボブの時空旅行記-』展は、好評につき、コロナ対策を講じながら会期延長を重ねています。
つだなおこ展『薄明の輪舞-ボブの時空旅行記-』
2018年3月発表『流離う月光-ボブの森海旅行記-』展のシリーズ続編である今展は、“つだなおこ×フジムラコンテンポラリーアート”企画展10周年記念にあたります。
大切な節目の企画です。10年という長い月日を経て今日という日を迎えるまでに発表してきた数々の作品達…鉛筆画家である、つだなおこ画伯が「挑戦」という名目の元、立体作品やグラスリッツェンなど鉛筆を操るだけでは完成しえないものを作り続けて“今”があります。
そして昨年開催され、大反響の内に幕を閉じた【加茂水族館での特別展】は、今展に繋がる重要な起点を残してくれました。
今回のサブタイトルは【ボブの時空旅行記】。
見ているといつの間にか引き込まれる旅のナビゲーターは、もちろん、海月(クラゲ)です。
創意工夫と技の探求、そしてその中で見せる“遊び心”。チャーミングな作家の性格がそのまま溢れ出す夢の冒険と愛らしいテーマ&ストーリー。
作品鑑賞していく内に、思わず微笑んでしまうのがこの「薄明の輪舞」です。
使用画材は、「鉛筆・消しゴム・鉄筆・ケント紙」のみ。
下描きの画材と言われるもののみで完璧なARTを作り出す画家つだなおこは、モノクロの中に潜むカラフルな色を表現することに徹し、見る方々の想像力を最大限にまで掻き立てる技を持つ匠の人。
技術的なことは画家自身が育んだものですが、当記事では皆様が知っているようで知らない、彼女のメイン画材「鉛筆」についてご紹介します。
鉛筆は、どこでどうやって生まれたの?
鉛筆が生まれたのは、イギリス。
1564年、イギリスのエリザベス王朝時代のこと。
ボローデール山で行われた掘削作業で掘り出された黒い塊が、実は黒鉛でした。
この時代、まだ鉛筆のような持ち歩き自由でお手軽な筆記用具はこの世にありませんでしたので、この黒鉛が見つかり、それを筆記用具にすべきと考えた知恵が昨今の筆記用具に繋がってきます。
当時は、この見つかった黒鉛をカットし棒状の板に挟み、紐などで巻き、手が汚れない工夫をして文字などを書いたと言われています。
黒鉛以前の時代はどのような筆記具があったのでしょう?
世界最古の文明と言われるメソポタミア文明期(紀元前2000年代)には、粘土板に棒で文字を彫って記した筆記が残されています。
その後、パピルスが生まれ、葦ペンを作りインクで書く古代エジプト時代に移ります。
古代中国では墨と硯が生まれ、それが日本にも伝わり、筆で和紙に書すという行為に発展していきます。
こうして振り返ると、人は文明と共に新しい筆記スタイルを求め、何らか発展させていこうとしていたと思われます。このような時代を経て、次第に便利さや手軽さ、持ち運びなど、求めるものを1つ1つクリアしながら、今の筆記に近づいていくのですね。
そういった点において、「黒鉛を筆記用具に使う」という発想はかつてない利便性の高さとその後に及ぶ筆記具の大発展に繋がっていきます!!
次第に進化していく“黒鉛”
話をイギリスのボロ―デール山で見つかった黒鉛に戻します。
実は、当時ここで発見された黒鉛を1760年には使い切ってしまう!という事態が起きてしまいます。1564年に黒鉛を見つけたので、およそ200年弱かけて、山で掘削される黒鉛を掘り切ったということですね!
ですが、人は一度覚えた利便性は忘れ得ぬもの…。
ここで他の山でも黒鉛が入手できないか?探すわけですが、この時期に黒鉛探しの指示を出したのが、かのナポレオンです。
今回の黒鉛の活用法は以前とは異なり、黒鉛を細かい粉状にし、それを粘土と混ぜ合わせ焼成するという方法を導き出しています。これは現在の方法とさほど変わりなく、この時期、著しく鉛筆が進歩したことを示しています。
1700年代後半から1800年代前半のことです。
なお、粘土と混ぜ合わせる分量などを調整しながら、芯の濃さを変えていくといったことも同時に進んでいきました。
これが今でいうHB、2B、3B、2Hや8Hといった濃さの違いですね!
まさに大進歩を遂げたものの、まだ今のような六角形の木で包まれた中心に芯が入っているという形状には至っていません。
イギリスで生まれた鉛筆ですが、ボローデール山からなくなった黒鉛をきっかけに、別の黒鉛の山を探しに奔走するよう促したナポレオンの指示…と書いたのでお気づきかもしれませんが、ナポレオンはフランス人。お隣の国として、きっとライバル心むき出しで、技術の進歩と黒鉛探しにお熱を上げたに違いありません(これは私の勝手な想像…☆彡)。
この頃からは今も続く有名メーカー、今も使われる画材も次々と登場してきます!
コンテ
例えば、フランスが生んだ画材「コンテ」(1795年発明)。
(コンテさんという人物の名前がそのまま画材名として定着しました)
当時、ナポレオン戦争で黒鉛が入手できなかったフランスは、先述の「黒鉛と粘土を調合し焼成する」手法で鉛筆の代用品となるコンテを開発します。
今の時代ですと、コンテは素描やスケッチに活用される画材。
時として下描きの画材としても使われています。
ファーバー・カステル
もう一つ有名なメーカー「ファーバー・カステル」は、今も存続する1761年創業のドイツ企業。
今では普通のことですが、鉛筆に初めて刻印をしたメーカーだそうです(1839年)。
また、鉛筆の長さや太さ、硬度の基準を作成し、今でも使われる六角形のデザインを定着させたメーカーでもあります。
個人的には「ファーバー・カステル格好いいな!」と若かりし頃に憧れて、上司にペンとシャーペンのセットをプレゼントした記憶が今でも鮮明に残っています。
ペンとシャーペン、どちらも鉛筆と同じ木製でした。
本物のオシャレとは、こういうことを指すのか?と学んだ記憶も残っています。
名前と日にちが刻印されています。
10年以上経過した今も美しさと品質に変わりはありません。
これらを見ると当時の人々の弛まなき努力が、今の鉛筆を作り、200年以上もの間、変わらずに存在しているのですね。
日本における鉛筆の歴史
そんな鉛筆ですが、日本で最初に手にしたと言われる人物、ご存じですか?
これは有名な話ですので、ご存じの方も多いかと思いますが、徳川家康です。
今の時代で言うと、初めてスマホを手にした時くらい、驚きと感動に満ちていたのでしょうね!
もちろん、海を越えて入ってきた舶来品の鉛筆です。
日本は鉛筆生産の後進国で、残念ながら1900年代以降にしか生産の記録がありません。
鉛筆の最初の生産国はイギリスで、次に大きく進歩させたのがドイツ、その後、第一次世界大戦が始まり、1915年頃に日本製の鉛筆が存在したと言われていますが、まだまだ粗悪品で…かつ、その後に始まる第二次世界大戦の影響で、なかなか生産も普及も進まない時代がそこにありました。
では、日本で最初に鉛筆を製造した会社は、ご存じですか?
皆さんもよくご存じのトンボです。
日本で最初に鉛筆を製造したトンボ
昭和生まれの方々なら学校の文房具で鉛筆は必需品でしたので、
「オレンジ色の消しゴム付きトンボ派か?」
「消しゴムなしの深緑のトンボ派か?」
あるいは、「あずき色の三菱ハイユニ派か?」などとチェックし合った記憶もあるかもしれません(懐かしい思い出ですね~♪)。
令和時代は鉛筆よりシャーペンの時代?いや、パソコンの時代なのでしょうか?
ですが、鉛筆の良さ・素朴さは今の時代の子供達にも受け継いでもらいたいと願っています。
トンボは1913年、小川春之助商店として誕生し、1928年に当時の最高級鉛筆にトンボマークをつけたそうです。
でも、なぜトンボ?
この疑問に気持ちよく答えてくれたサイトで見ると、トンボの古名は「あきず/あきつ=秋津」だそうで、昔、日本のことを「秋津島」と呼んでいたことから、“日本を代表する鉛筆を目指す!!”という思いが込められてマークがトンボになったそうです。
素敵ですね(*^▽^*)!
トンボマークを選定するあたり、日本人の持つ魂を感じさせますね。
そうそう!!
つだなおこ先生の画材の1つでもある「消しゴム」ですが、皆さんもかつて使用なさっていたはず…「MONOけしごむ」。これはトンボさんが生みの親ですよ。
三菱ハイユニ
ですが、実のところ、つだなおこ先生のメインの鉛筆は「三菱ハイユニ」&「ステッドラー」です!
トンボさん、ごめんなさい(*´ω`)。涙&涙
トンボさんに負けじと頑張った企業が三菱さんです。
世界一の鉛筆を目指し、黒鉛と粘土の微粒子を均一にする技術を確立し、「なめからさ世界一」を達成した1958年生まれのハイユニは、unique(ユニーク)のuniを使い、ハイユニと名付けられたそうです。
当時、1本10円程度だった鉛筆でしたが、このハイユニは、1本50円もしたそうです。
本当に高級ですね…(‘◇’)ゞ
つだなおこ先生曰く、「“黒の奥深さ”と“ねっとりした質感”が大好き」なのだそうで、このねっとりした感じの黒鉛を縦横無尽にハッチングしまくるのが快感なのだそうです!
これだけ読むとマニアックすぎますね…(*‘∀‘)
ステッドラー
これに対し、あっさりとした質感のステッドラー製の鉛筆は同じ塗り重ね(ハッチング)をしても、光沢感や黒の濃度が異なります。見れば見るほど、奥の深いモノクロの世界です!
ステッドラーは1835年設立、ドイツの筆記具・製図用品の世界的メーカーです。
今でこそ、製図はコンピューターで作られますが、ひと昔前まで人が線引きしていたもの。
世界中の建築家がステッドラーを使う!と言っても過言ではないくらい、SUPERメジャーなメーカーです。
私達のように製図とは無縁の職業の人間がステッドラーを使い描いてみても、ステッドラーの書き味は、芯が固くシャキッとしてラインがぶれない感じの鉛筆。と感じ得られます。
鉛筆を日頃使用なさらない人が同じ濃さの鉛筆(例えば、HBなど)で三菱ハイユニとステッドラーを書き比べても、明確に芯の硬さや色が異なることをシンプルに実感できます!!!
そういった感覚でも、先に記したつだなおこ先生の「三菱ハイユニは、まさにねっとりした黒なの!」という表現は、非常に理解できます。
つだなおこ先生と鉛筆
つだなおこ先生は、これらの鉛筆を使い、いかに黒の中に多色を表現するか?ということに向き合い、表現の模索を未だに続けています。
分かるようになったこと、描けるようになったことが幾つもあるのに、まだまだ鉛筆の魅力を引き出しきっていないとも言います。
しかしながら、HBを中心にHard(硬い鉛筆)の最高10Hから、Black(柔らかく濃い鉛筆)の最高10Bまであったものが、近頃、8Hくらいまでしか入手できなくなってきています。
需要の減少から…でしょう。
悲しくて寂しい現実です。
つだなおこ先生は今のうちに買い占めたいとも仰っています…(´;ω;`)ウゥゥ
メーカーさん…よろしくお願いします(笑)。
私はこうも思います。
1500年代に黒鉛で鉛筆の原型になるものを作ったイギリスの人々が、彼女の作品を見たらどう思うでしょう?
黒鉛探しに熱をあげたナポレオンは?
およそ100年前にトンボ・三菱・ステッドラー社を立ち上げて、鉛筆の発展に従事した先人たちは、どのような感動を持って作品を見てくれるでしょうか?
長い歴史の中で積み上げてきたからこそ得られる今の鉛筆の使い心地の良さ。
この記事をご覧いただいた方が改めて鉛筆に興味を持って「描いてみようかな?」「作品を見てみようかな?」「子供たちに使わせてみようかな?」と思ってくれたら、最高に嬉しく思います。
とても長い鉛筆のご紹介記事となりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
これを機に「鉛筆」を使ってみる方が増えることを期待しています☆彡
最後になりましたが、当ギャラリーで作品発表を始めてから、ちょうど10年の鉛筆画家、つだなおこ先生。
偶然にも東日本大震災と同じ10年という月日です。
デビューイベントが、大震災直後でしたが、今もこうして作品発表を継続的に開催できている歓びは、日頃にも増して感じます。この会話は作家と幾度も繰り返されてきましたが、まさにこの瞬間も、「感謝の心」でいっぱいになります。
いろいろな事が起きた10年ですが、このコロナ禍でも我々なりにこの絵画の魅力をお伝えできるよう工夫しながら開催を続け、多くの方々がギャラリーに足を運び、素晴らしい作品鑑賞時間を持てるようさらに努力していきます。
つだなおこ展『薄明の輪舞-ボブの時空旅行記-』開催概要
■企画展名
つだなおこ展『薄明の輪舞-ボブの時空旅行記-』
■開催場所
フジムラコンテンポラリーアート
〒231-0861 神奈川県横浜市中区元町2-91-11 Iyeda Bldg. 2F
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■開催期間
2020年10月21日(水)~2月28日(日) 12:00~18:00
→好評につき4月18日(日)まで会期延長
新型コロナウィルスの影響でアート業界も打撃を受けていますが、その中でも明るい“光”を放てるようオリジナル企画展を開催します。
作家来場も予定しております。詳細はお問い合わせくださいませ。
※時節柄、3密を避けるために可能な限り、事前に来店予約をお願いしています。ご協力の程、宜しくお願いいたします。