本日のブログは、スタッフIが美術展の鑑賞レポートをお届けします。
東京六本木にある森アーツセンターギャラリーで、2023年12月9日(土)~2024年2月25日(日)の日程で開催の「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」を鑑賞してきました。
6mにおよぶ大型作品を含む、
約150点の作品を通してキース・ヘリングのアートを体感する貴重な展覧会です。
ヘリングが駆け抜けた31年間の生涯のうち、アーティストとしての活動期間は10年ほどですが、
残された作品に込められた強烈なメッセージは没後33年が経過した今もなお響き続けていました。
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」鑑賞レポート
東京会場は六本木ヒルズ森タワー52階にある森アーツセンターギャラリー。
今回初めて六本木ヒルズに足を踏み入れました…。
全然わからずオフィス棟に迷い込んだりしながら到着。
52階にある美術館ってすごいですね…。
絶景。
52階フロアにロッカーやベビーカー置場もあったので、ご活用ください。
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」は、全6章で構成されています。
- 公共のアート
- 生と迷路
- ポップアートとカルチャー
- アート・アクティビズム
- アートはみんなのために
- 現在から未来へ
また、第6章の後には、1983年に初来日して以降の日本とのつながりを紹介するスペシャルトピック(キーズ・へリングと日本)があります。
※写真撮影不可エリア
明るく、ポップなイメージで世界中から愛されているキース・ヘリング(1958–1990)。
「アートはみんなのために」という信念のもと、1980年代のニューヨークを中心に地下鉄駅や街中など、日常にアートを拡散させることで、混沌とした社会に対する強力なメッセージを伝え、人類の未来と希望を子どもたちに託しました。
そんな短くも濃いキース・へリングの人生がが凝縮された展示空間をご紹介します。
第1章:Art in Transit / 公共のアート
各章を紹介する案内ボードも、蛍光カラーとグラデーションで彩られていて新鮮。
「特色カラーで印刷かな…色校正もしたのかな…高そうだな…」と職業柄の想像をしていました…。
1978年、20歳のヘリングは故郷のペンシルベニア州からニューヨークへ移りました。
マンハッタンにあるスクール・オブ・ビジュアル・アーツで多様な美術表現を学びながらも、美術館やギャラリーといった限られた人が訪れる空間から、公共の場でアートを展開する方法を模索しました。
なかでも、人種や階級、性別、職業に関係なく、もっとも多くの人が利用する地下鉄に着目。
「ここに描けばあらゆる人が自分の作品を見てくれる」と考えたヘリングは、地下鉄駅構内の空いている広告板に貼られた黒い紙にチョークでドローイングを始めました。
ヘリングは1980年の終わり頃、空いた広告板に貼られた黒い光沢のない紙にチョークで描くアイデアが咄嗟にひらめき、すぐさま最寄りの文房具店に飛び込みチョークを買って描いたことがサブウェイ・ドローイングの始まりだと語っています。
シンプルに素早く描かれた光り輝く赤ん坊、吠える犬、光線を出す宇宙船など、生み出された数々のモチーフは多くのニューヨーカーの心と記憶に刷り込まれました。
この「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれるプロジェクトはインターネットやSNSが普及しない時代に、多くの人とのコミュニケーションを可能にし、誰もが分け隔てなくアートにアクセスすることができる画期的な手法だったのです。
アルバイト先への通勤途中に始められたドローイングは、多くの人の目に留まり、次第に地下鉄の乗客たちに声をかけられるようになります。
以来、作品を描くために空き広告板を見つけては描くということが制作における重要なプロジェクトとなり、ほぼ日課のようになりました。
1日40点近く描かれたこともあったそうです。
そうしてヘリングは、シンプルなモチーフをリズミカルに素早く描く、という技に磨きをかけていきました。
また、ヘリングは美術界から認められるよりも、当時のグラフィティライターから認められたいという気持ちがあり、それが地下鉄の駅で制作した理由の1つでもあったそうです。
本展では、本邦初公開で特別出品されるニューヨークの個人コレクターによる所蔵作品5点を含む7点を展示しています。
どの美術展でも共通して好きなのが、壁にプリントされた作家の言葉。
額装された作品との対比で、壁にベタでプリントしてるシンプルさがメッセージ性を尖らせます。
エンジェル・オルティスとの共同制作
右《無数の小さな男性器の絵》1979年 鉛筆・紙
第2章:LifeandLabyrinth / 生と迷路
シンプルなモチーフを“リズミカルに素早く描く”ことが研ぎ澄まされていったような絵。
シンプルなモチーフが複雑に分かりやすく描かれている矛盾。
金に青は僕の中にあまりない発想なので新しい。
HIVの蔓延は社会に暗い影を落とし始めていましたが、
ペンシルベニア州ピッツバーグの田舎から出てきたヘリングにとって、ニューヨークはゲイカルチャーも華やいでいる刺激的な場所でした。
混沌と希望に溢れるこの街で解放されたヘリングは、生の喜びと死への恐怖を背負い、
約10年間という限られた時間に自らのエネルギーを注ぎ込んでいきます。
アーティストの独立性を主張したロバート・ヘンライのマニフェスト「アート・スピリット」に影響を受け、
独自の表現を推し進める中で、アフリカの芸術から着想を得た表現なども確立していきます。
フランシス・ベーコンやジャン・ミシェル・バスキアの展覧会を手がけた1980年代のニューヨークの大手画廊、トニー・シャフラジ・ギャラリーより出版されたこの版画シリーズには蛍光インクが使われています。
ビラミッドや古代エジプトのアンクなど生命のシンボルが描かれ、光り輝く妊婦やダンスの動きが盛り込まれることで、母親たちの強さを讃えていると言えます。
身体の動きを表現する線(アクションライン)が効果的です。
リアルな人体の形を抽象化・簡略化させ「体の構造や組織を不正確に描写しても、人物の内に秘められた本質的な真実が隠されてしまうことはない」と証明しようとしていたアンリ・マティスがよぎりました。だいぶ。
鑑賞前からほのかには感じていましたけれど。
簡略化したような人体に、色味は違えど、ビビッドな色同士を配置する見せ方は共通するものがあります。
この蛍光シリーズのブースはブラックライトで照らされており、
出品リストに載ってる「ラディアント・ベイビー」がブラックライトに反応する仕掛けがありました。
楽しい仕掛け。
第3章:PopArtandCulture / ポップアートとカルチャー
アメリカ経済不況下1980年代のニューヨークは、現在以上に犯罪が多発する都市として知られており、ドラッグや暴力、貧困が蔓延していました。
一方でクラブ・シーンは盛り上がり、ストリートアートが隆盛を極めるなど、街もカルチャーも人々もパワーに溢れていました。
アンディー・ウォーホルやマドンナ、ジャン=ミシェル・バスキアの作品もそのような不況下のニューヨークから誕生しています。
トップモデルもほかの著名人も、みなクラブに通い、若いアーティストはギャラリーやシアター以外の場所で才能を試すことに必死な時代でした。
特に「パラダイス・ガラージ」はヘリングがもっとも愛したクラブであり、創作のアイデアが湧き出る神聖な場所でもありました。
クラブという社交場で築かれた人脈を起点に、ヘリングは数多くのミュージシャンのレコードジャケットのアートワークも展開しています。
ヘリングが好きだったミッキーマウスと、彼が最も尊敬するポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルを融合させた作品シリーズ。
右下にヘリングのサイン、左下にウォーホルのサインが入ったコラボレーションでもあります。
約6mにもおよぶ作品。
離れてみると大きさがわかります。
「回顧」を意味するタイトルがつけられた作品《レトロスペクト》。
ヘリングがよく描いた「ポップショップ」のシリーズや、トレードマークともいわれる吠える犬、天使や人々など、繰り返し描写されてきたモチーフが24コマの画面で構成されています。
それぞれの図像はまるで日常を表現したピクトグラムのようです。
第4章:ArtActivism / アート・アクティビズム
ヘリングは大衆にダイレクトにメッセージを伝えるため、大部数を制作することができ誰の目にも流通させることができるポスターを媒体に選びました。
題材は、反アパルトヘイトやエイズ予防、
性的マイノリティの人々のカミングアウトを祝福する記念日「ナショナル・カミングアウト・デー」などの社会的なものから、アブソルート・ウォッカやスウォッチなどとのコラボレーション広告といった商業的なものまで、100点以上にもおよびます。
とりわけ、ヘリングは社会へのメッセージを発信したポスターを数多く制作しました。
1982年に初めて制作したポスターは、核放棄を題材にしたものでした。ヘリングは自費で2万部を印刷し、セントラル・パークで行われた大規模な反核デモで自ら無料配布したのです。
社会の無関心に対して警鐘を鳴らすために制作された《沈黙は死》。タイトルはエイズ予防啓発運動団体が制作したポスターのキャッチコピーから転用されたもの。
ピンクの三角形は、ナチスの強制収容所で同性愛者の男性につけられたピンクの逆三角形のマークがもとになっており、これを同性愛差別に対する抵抗として上向きの三角形に図案化したものです。
ヘリングはこの図案を作品に取り入れることでLGBTQ+コミュニティを祝福するとともに、偏見により命を落とした人々への追悼を示しました。
当時の「悪を見ず、悪を語らず、悪を聞かない」のレーガン政権に対して、この三角形は「エイズ」の可視化を訴えているそうです。
アートの力は人の心を動かし世界を平和にできるものだと信じていたへリングは、ポスターだけでなく、世界の多くの都市で建物の内外に壁画を描いたり、子どもたちとのワークショップを行うなど多くの手段を使ってメッセージを送り続けました。
1988年 オフセットリトグラフ・光沢厚紙
本作はニューヨーク公共図書館の依頼で識字率向上のために制作されました。
多様な人種・民族で形成されるニューヨークでは、当時から英語でのコミュニケーションに課題を抱える人も多く、日常生活での支障だけでなくコミュニティからの疎外など、多くの困難が生じていました。
そうした社会課題に対して、シンプルなビジュアルメッセージを用いて解決を促す本作には、ポジティブな投げかけにより社会を変えようとするヘリングの一貫した姿勢が感じられます。
第5章:ArtisforEverybody / アートはみんなのために
アートを一部の知識人や富裕層にだけではなく、多くの人に届けたいと考えたヘリング。
ストリートや地下鉄での展開に始まり、自身がデザインした商品を手に取りやすい価格帯で販売した「ポップショップ」といったアート活動を通して、大衆が身近にアートと親しむことを可能にしてきました。
本章で紹介されるく《赤と青の物語》は、絵画の連なりからひとつのストーリーを想像することを促しています。
子どもだけでなく大人にも訴えかける視覚言語が用いられた、ヘリングの代表的な作品のひとつです。
ここでもマティスがよぎります。
また、赤、黄、青といった色を使い、平面の形を立体に立ち上げた刻作品は、万人とコミュニケーションできるアートと言えるのではないでしょうか。
「ルナルナ・パーク」と題された移動式遊園地プロジェクトのためにサルバトール・ダリやロイ・リキテンスタインら多くのアーティストが参加し、遊具が制作されました。
ヘリングもメリーゴーラウンドをデザイン、それを記念して出版された紙の彫刻作品が、この飛び出す絵本です。
2000部が出版されましたが出版後のアクシデントにより、ほとんどが失われたそうです。
さらにヘリングは世界の都市数十ヶ所での彫刻や壁画などパブリックアートを制作しています。
その多くは子どもたちがアートに触れる機会を増やすために、小児病院や孤児院、公園に設置されました。ほかにも数々の絵本が出版され、ヘリングが発信したアートは現在も大衆に向けて届けられ生き続けています。
第6章:PresenttoFuture / 現在から未来へ
1980年、ヘリングが22歳の時に制作したドローイング作品を、亡くなる1ヶ月前に版画で再制作した17点の連作が《ブループリント・ドローイング》シリーズです。
漫画のコマのような画面に点在する風景や人物、UFO、吠える大などのイメージがストーリーを形成するように組成。
資本主義に翻弄され不平等さや争いがはびこる社会、テクノロジーが人間を支配するような未来が、モノクロームで淡々と描写されています。
複雑なテーマに真正面から向き合い、性的なイメージを避けることなく描写しながらも、ほかの多くの作品と同様、本作も作家自身による解説は残されておらず、解釈は鑑賞者に委ねられています。
《ブループリント・ドローイング》についてヘリングは、「ニューヨークでのはじまりを啓示するタイムカプセル」だと書き残しています。
空間ごとインスタレーションとして、「17作品で《ブループリント・ドローイング》という1つの作品」に感じさせるこの展示方法も、なかなかユニークでした。
ヘリングが亡くなる1990年に制作された5枚組の版画作品。
それぞれのイメージは、エンボス技法を用いて立体的に表現された輪郭線と鮮明な色使いによって象徴化され、ヘリングの記号論研究を通した独自の「象形文字」となっています。
特に光り輝く赤ん坊という意味の「ラディアント・ベイビー」は、ヘリングの最もポピュラーなモチーフのひとつです。
赤ん坊が人間の完璧な姿であり、社会の色に染まらず純粋無垢で、未来への希望の象徴であると考えていたヘリング。ストリートでマーカーやチョークを使って絵を描き始めてから、死の寸前まで描かれたベイビーは今でも未来を象徴しています。
1988年 オフセットリトグラフ・厚紙
ニューヨークで最後の開催となった個展のポスター。
シャボン玉の中にヘリング自身の赤ちゃんの時の写真がコラージュされています。
エイズと診断されて間もなく開催されたこの個展では、
三角形の変形キャンバスを用いた大作《無題》など、自身の力量を試すような挑戦的な作品が多く出品されました。
のちにヘリングはこの個展について「それまでにペインティングというメディアを通じて僕が達成したものの総括と言ってもいい」と評していたそうです。
この三角キャンバスに描いた《無題》も、
淡々と訴えかける《プリント・ドローイング》も、
キュビズムの影響が垣間見える《ペルシダ》も、
世界中で愛される《イコンズ》も、鑑賞する人の数だけそれぞれの意味が生まれていきます。
現在を未来として描き、未来を現在として描いたヘリングの思いは、没後30年以上経った今でも歴史とともに巡っています。
東洋思想や書を代表する文化は以前よりヘリングに影響を与えており、日本に対して特別な想いを抱いていたヘリングが初来日したのは、今から40年ほど前の1983年。
第6章の後にあるスペシャルトピックの「キース・ヘリングと日本」では、来日した際の様子やポップショップ東京で販売された扇子などが展示されています。
※当エリアは写真撮影不可です。
この記事を書いた人:スタッフI
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」開催概要
■展覧会名
キース・へリング展 アートをストリートへ
■会場
森アーツセンターギャラリー(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階)Googleマップ→
■開催日時
2023年12月9日(土)~2024年2月25日(日)
休館日:会期中無休
■開館時間
10:00~19:00(金・土は20:00まで)※入場は閉館30分前まで
12月31日~1月3日は11:00~18:00
■チケット料金
一般・大学生・専門学校生2,200円、中高生1,700円、小学生 700円
- 価格はすべて税込み。
- 事前予約制(日時指定券)を導入しています。
- 未就学児は無料。
- 障がい者手帳をお持ちの方は半額、付添の方1名まで無料。チケットカウンター(六本木ヒルズ森タワー3階)にお尋ね下さい(当日分のみ)。
- 混雑状況によって入場まで待ち時間が発生する場合があります。
- 本展には性的な表現を含む作品が出品されます。
■公式サイト
https://kh2023-25.exhibit.jp/
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」巡回展情報
【東京会場】
森アーツセンターギャラリー(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階)Googleマップ→
2023年12月9日(土)~2024年2月25日(日)
【兵庫会場】
兵庫県立美術館ギャラリー棟3階ギャラリー(兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1)Googleマップ→
2024年4月27日(土)~6月23日(日)
【福岡会場】
福岡市美術館(福岡県福岡市中央区大濠公園1-6)Googleマップ→
2024年7月13日(土)〜9月8日(日)
【愛知会場】
2024年9月~11月 ※予定
【静岡会場】
2024年11月~2025年1月 ※予定
【茨城会場】
水戸市
2025年2月~4月 ※予定