今年、フジムラコンテンポラリーアート(FCA)のK. Ashino『廻 -MEGURU-』展で、長く展示公開されてきた書作品たち。
一般的に頭に浮かぶ「書作品」とは、画仙紙や半紙に墨で書かれた作品を思い浮かべることでしょう。
しかしながら、当ギャラリーのK. Ashino作品には、多くの彩りがあります。
書に彩りをもたらすK. Ashino
K. Ashinoという書家のスタンス、作品への思いは…
書の原点である美しい文字を認める基本を元に、白い紙と黒い墨だけで表現するにとどまらず、その漢字そのものの意味を形状だけで美術表現するのではなく、彩りを持たせることにより…その漢字の心を、真意をまさに放たせるような表現方法に辿り着き、『彩書(さいしょ)』を完成させます。
個人的に、長く書道の道に体を置き、学び続けてきた私は、初めて華やかな色を纏う書作品を目の当たりにした時、衝撃が走ったのを今でも記憶しています。
今から10年ちかく前のこと…
随分と前の話にはなりますが、「書の世界も艶やかになり、開けてきたな…」などと感じたものです。
元来、書の世界は狭く、ピラミッドのような形で各団体が築かれており、その団体のトップになろうとするならば、それはそれは鎬を削る戦いと申しますか…。
まずは周囲の方に認められることから始め、その後、徐々にスケールをあげていくというのは絵画と差はありませんが、書の場合、漢字が読めない文化圏の人々の心を動かすには表現方法の狭さが浮き彫りとなる芸術世界のように長く感じておりました。
ただ、その制約多き書の世界の中でもずば抜けて異彩を放った書家の先生方…少しでもその頂きに近づきたいと願った大巨匠“書の巨人たち”がいます。
ただ、その巨人たちも…
当然の如く、若く道半ばの日々もあったはず。
そう感じるのは、私が臨書し続けた王義之の作品を書籍で眺める時です。
書聖 王義之
「王義之」
その名を知らぬ書家はこの世には存在しないはず。
書聖 王義之は303年生まれ、時は東晋。
政治家でありながらも書家として名を残し、書の芸術性を確固たらしめた人物です。
彼が長く住んだのは浙江省紹興市、まさにあの“紹興酒”で有名な街…お酒造りが盛んな地域の特徴として「水のきれいさ」が挙げられますが、ここ紹興市も水の町と呼ばれるほど美しく、
その美味しい湧水ともち米を利用して作られ続けてきたのが、今の時代も味わえる紹興酒です。
この紹興市の水の町としての素晴らしさはお酒だけにとどまらず、「曲水の宴」が催される文化的な要素も生み出します。
では、「曲水の宴」とはいったい、どのような宴でしょうか?
曲水の宴
その名の通り、曲水(小川や庭園の中に作られた水の流れる場所)で催す宴を指しています。
優美な文化的要素を含んだお酒の席でもありますね。
水の流れある庭園で、その畔に集まり、間隔をあけて座ります。
上流より盃にお酒を注ぎ流していくのですが、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠み、披露する。
そうしてそれを飲み干しては、次の方へとその盃を流し…順番に歌を詠む。
とても風流な宴…それが「曲水の宴」です。
そもそもは禊のためだった…という起源も残っていますが、今日は王義之が開催した曲水の宴についてご紹介いたします。
御年50歳の王義之が開催した、この曲水の宴。
開催場所は中国浙江省のとある東屋「蘭亭」。
開催日時は永和9年3月3日と残されています(永和9年は西暦でいう353年です)。
王義之が招いたお客様は総勢42名、随分と盛大だったに違いありませんね。
その宴の中で書かれた書作品が、実はかの有名な《蘭亭序》です。
そして、この《蘭亭序》は書作品として最も素晴らしいものの1つとして、今のこの令和の時代でも書道家たちの手本として活用され続けています。
これを手本として臨書し続けた若かりし頃の私には、今、ギャラリーでその手本をお客様方にご覧いただきながら、行書の美しさが今から1700年程前に書かれたものが基本となっているとご案内申し上げています。
不思議なものです…。
さらにこの《蘭亭序》は、王義之が曲水の宴の最中に書したものですが…その時、王義之がお酒に酔っぱらっていたという記録が残されています。
宴の主催者が宴の最中に書したため、その可能性は非常に高いとも思われますが、その真偽は如何に!?
如何せん、1700年もの昔の話ですから、いろいろと脚色された可能性もまったくないとは思いますが…。
この話には続きがあり、、、
王義之が酔った勢いで書した作品を良しとするのはいかがなものか?と自ら考え、後に幾度も清書しようと試みていたという記録も残っています。
ですが、この幾度も繰り返された清書作品は、どれも当日に書したものを超えることなく、あの宴の中で書した作品が最上の出来栄えと判断。
このようなことを書の世界では「卒意(そつい)の書」と呼んでいます。
絵画作品と異なり、少しずつ塗り重ねるという技法が書には存在しません。
筆の入りにて墨が重なることはあれど、一度引いた線の上をなぞるような行為は基本的に行わず、そのまま最後まで書き続け、それを自身で良し悪しを評価しつつ作品として発表するかを決めてまいります。
だとすると…
書は“一発勝負の制作”と言えるのでしょう。
先程述べた「卒意の書」とは、これを指したもので、下書きや練習の繰り返しの中から出品(提出)作品を決めるのではなく、心の赴くままに書したもの、筆を走らせたものが最上の出来栄えだと考える「書」独特の考えです。
この話を書家であるK. Ashino先生と話しますと…
「数えきれない枚数の作品に、、、幾度も繰り返された練習に、、、何百時間とかけた制作に、、、、その都度「これだ!」と感じて書けたものは幾つもあるのに…すべてが発表作品にはならない。書には表に出ない作品の方が多い…常にそう感じます。」
また…
「自分の中ではこの文字が、この形状が、この墨のにじみが最も美しい!と感じたものでも、展示会の主旨や企画にそぐわなければ出展の機会を持てず、手元に残る作品は果てしなく多くあります。」
とも仰っています。
書の世界では、卒意の書だけがすべてでもなく、積み上げて作り上げた作品だからすべてということでもなく、多角的な観点で捉えることが求められるようにも感じます。
ちなみに、K. Ashino先生も王義之は練習の基本。
長く書き続けてきた手本だともお話し下さいました。
王義之が生きた時代300年代はまだ国の再編が繰り返される波乱の時代。
(Unknown artistUnknown artist, Public domain, via Wikimedia Commons)
ですが、あまりにも美しい字を認める王義之の人気は絶大で、当時の皇帝からも深く愛されたと言われており、王義之の書は当時の皇帝太宗が亡くなった後に、
(Acstar, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
自分の陵墓に副葬させるよう指示したと言われる程でした。
当然のことながら、同時代に生きた貴族や官僚たちは、挙って王義之の手本を買いあさり集めたとも言われています。
まさに大人気な出版物!
300年代ですので、裕福な方たちだけの特別な書籍だったのでしょうね。
(Reiji Yamashina, Public domain, via Wikimedia Commons)
また、当時の皇帝太宗の指示により、模刻や能書を当時の有能な書家たちが行った軌跡も多く見られます。
中でも褚遂良(ちょすいりょう)は有名で、王義之の真跡鑑定の職務についていたと言われています。
褚遂良は、漢字の書体「楷書」の最高傑作を残した人物です。
皆さまも楷書という書体は幼少期から親しんでこられたかと思います。
学校で習う基本的な美しい崩さない書体…それが楷書です。
話は少し逸れましたが、いかに当時の王義之が絶大な人気を誇ったのか?は、その後の経過を眺めても、間違いありません。
ただ、カメラもスキャンもデータ保存もない時代に皇帝の指示のもとであったとはいえ…実際のところ、王義之の真跡か?を鑑定したり保存したり…という行為がどこまで正確なのか?は不明瞭のまま。
当然、王義之の書を模刻しても、王義之そのものの文字ではなく、有能であれ他の誰かが能書したものに違いありませんから、時を経るごとに真跡鑑定は難を帯びていきます。
よって、私達現代人が使う手本としての王義之《蘭亭序》も、よく見てみると…幾つもの異なる雰囲気の文字が掲載されています。
手本の下に載る「八柱第三本」「褚臨絹本」「神龍半印本」「張界金奴本」などと記されている部分です。
これは現代の書家たちが学ぶテキストに掲載してある複数の《蘭亭序》です。
分かりやすいものでいえば、「褚臨絹本」は、先程ご案内した楷書の最高傑作を残した褚遂良が臨書した作品です。
要は、すべて王義之の文字(直筆)ではなく、当時の能書や模刻という事実です。
ということから…複数残された模刻などの中で、どれが最も王義之の作品(筆跡)に近いのか?は今の時代でさえも重要な研究課題でもあるのです。
FCAにも受け継がれる、王義之から始まる書芸術の歴史
この難題に取り組んできた素晴らしい現代書家の先生方を少しご紹介します。
昭和時代の書の巨人と呼ばれた西川寧(にしかわ やすし)1902-1989(1985年、日本の書家として初めて文化勲章を受章なさった方です)。
この西川寧は書家としても大成なさった方ですが、同時に王義之の研究にも没頭し、時代の後輩にあたる我々に多くの道しるべを残して下さった方でいらっしゃいます。
また、この西川寧に多大な影響を受け、1992年文化勲章を受章した青山杉雨(あおやま さんう)がいます。
彼も今に続く現代書道の道を切り開いて下さった方と言えます。
青山杉雨は、行書体と篆書体の2つの書体を融合させた作品を発表。
古代の書体をベースに、まるで絵画を描くような新しさとユニークさを盛り込みながら、行書特有の筆の速さや躍動感をもって揮毫する。
実に斬新。
限られた表現方法しか持たない書の世界に新しく風穴をあけた本当の意味での現代書道家でいらっしゃったと思います。
それほどまでに新しい挑戦を絶やさなかった青山杉雨ですが、書芸に長けていただけではなく、素晴らしいコレクションもありました。
現在、東京国立博物館蔵の中国の洮河(とうが)で採れる緑色の石で作られた硯。
「蘭亭洮河緑石抄手硯」
これは元々、青山杉雨が収集し、後に東京国立博物館に移されたもの…この硯には王義之が蘭亭で曲水の宴を催した情景が彫刻されています。
国を超え、書芸の極みを目指し頂点に立った書家たちがここまで探求心くすぐられる書家…それが書聖「王義之」なのです。
なお、現在開幕中の『廻 -MEGURU-』展の書家K. Ashino先生は、青山杉雨の孫弟子にあたります。
王義之から始まる書芸術の歴史が、1700年の時を超え、今、ここフジムラコンテンポラリーアートにも受け継がれています。
今、この個性豊かな企画展を王義之が鑑賞したら…どのような感想をお話し下さるでしょう?
そんな思いに浸りながら、まもなく終了するK. Ashino『廻 -MEGURU-』展に足をお運びいただけますと嬉しく思います。
この記事を書いた人:スタッフK