(敬語は省略します。ご了承ください。)
私は今年大学4年生になるフジムラコンテンポラリーアートの韓国担当バイトのチェ・ヨンジンだ。
世界金融危機の影響で内定取り消しが行われている昨今とはいえ、やはり4年生からは就職活動のために頑張らなければならないし、社会人になったら絶対機会はないと思い、日本男児なら一生に一度は必ずしなければいけないというお伊勢参りを自転車でやってみようと考えた。
東京から自転車でお伊勢参り~往路編~
2005年、東京から福岡まで自転車で行ったことはあるが、それは往復ではないし走るだけで観光はほとんど出来なかったので今回は日本の絶景をしっかり見覚えようと決心した。
しかし日程の都合上、伊豆半島はまわらず、箱根峠を越えることにした。というか前々から男子たるもの一生に一度は自分の力で箱根峠を越えねばならぬとも思っていたのだ。私の場合は2回目だが。
出発前におおよその距離を計算してみると、伊勢までおよそ500キロ。4日もあれば十分と思えた。
今回の相棒、わかりやすくいうと自転車は、ママチャリ3代目となるマルイシの二カゴ自転車。
典型的なママチャリである。内装3段変速。前ライトはLEDと標準仕様のライトの二段構え、後ライトはLED、そんな装備だった。
そして持ち物はipodとiphoneを同時に充電できる充電器、水のペットボトル5リットル、着替え用のTシャツ、お参りのためのジーパン、お財布、クレジットカード、そしてコンビニで購入した関東地図。
旅行の感想を書くためのノートとデジカメも用意した。
旅をナメすぎのような気もしないでもないが、なんたって東海道であり繁華な道であろうし足りないものはあとで補えばいい。
お天気のことを考え、windstopperのジャケットを2枚もカゴに詰め込んだ。もちろん手袋も。ズボンはスリーラインのジャージ。
家出した不良少年(?)に見えるかもしれない。
普通のスニーカーを履こうかと思ったが、出発直前にエアーマックスに変更。これで準備ばっちり。
【初日】2008年12月28日
いつものように起床し、ゴミを出したり風呂に入ったりして午前11時に家を出た。私の門出を祝福するかのような晴天だ。
ドキドキしながら川越街道を走り、環七通りへ進入。このあたりは自動車で走ったりしているので慣れている道だ。迷う心配もなく歩道をのんきに走る。出発からおよそ3時間で、東京と神奈川の境である二子玉川駅についた。思ったより早いペースだ。
しかしここから問題発生。そのまま厚木街道の246番国道に乗ればいいのに、なぜか鶴見溝口線に乗ってしまった。気がついたら日吉駅前を通っていた。馬鹿なことをして1時間あまりを無駄にしてしまった。これはあかん、頑張らなきゃ。
あわてて方向を変え、やっと新横浜駅を見ることが出来た。よし、東海道だぞ。大名の旅が始まるのだ。
戸塚駅の近くのダイエーについたら時間はもう17時半。
夜ご飯としてハンバーガーを食べた。
19時、東海道に乗り、藤沢市に向かっている途中、えらいことがおきてしまった。後輪のブレーキが切れてしまったのだ。点検する時タイヤとフレームだけを見てブレーキーは疎かだったのがミス。どうしよう。
周りはもう真っ暗で何も見えない。ここであきらめるのか。もう帰るのも大変だ。携帯で近くの自転車屋を調べてみても出てくるはずがない。仕方なく交番に行って近くに自転車屋があるかを聞いてみた。なんと1kmぐらい先に自転車屋があるそうだ。ラッキ~
自転車屋に着き、修理が出来るかを聞いてみたが、出来ないという返事だけを聞いた。まぁ、出来るとは思わなかった。
ここで仕方なく新車を買うことにした。社長からもらったお年玉が自転車に変わる瞬間だ。これで本当にスポンサーになってもらっちゃったな。
新しいママチャリを買って走り始めた。かごが1個になって収納空間が足りないのがちょっと残念だが、何とかして詰め込めた。壊れた自転車は自転車屋さんに預けてしまった。
一所懸命走り出しても横浜は境が見えない。
やっと藤沢市に入って茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町を3時間で通過した。
でも自転車の故障で時間がかかってしまったため今日の目標の箱根湯本までは行けそうもない。波の音は聞こえるがきれいな風景なんて見えやしない。真っ暗で不安のストレスがだんだんたまり、疲労になってくる。
小田原駅に着いたら時間はもう23時40分。
駅の近くのネットカフェに泊まることにした。8時間定額で1600円、都内よりは少し高い気がするが仕方ないな。
2008年12月28日の走行距離
お家→小田原駅 81km
【2日目】2008年12月29日
10時、目が覚めたら全身が痛い。定額料金なので時間内にネットカフェを出なきゃいけないのに、頭は命令しているのに体がいうことを聞かない。追加料金になるだけだ。やはり運動不足か。ここならまだ小田急で自宅に帰れると思い、ちょっと迷ったが新車の自転車を見て心を固めた。進むしかない。
1時間ぐらい軽く進んだら温泉が見え始めた。ああ、入りたいなぁ。でも頑張って前に進むべきだ。というか明るいうちに峠越えをしておきたかっただけ。
また30分が過ぎたら箱根湯本が登場。車がすごく混んでいる。さすが年末年始だ。道が斜めになり始めた。「箱根をなめちゃあかん」、神戸に住んでいる友達の一言を思い出した。お前の言うとおりだ。
13時、すでに私は否応なく自転車を押す人になっていた。
はじめのころは、たまにゆるい坂になったりすると、また自転車にまたがりペダルを踏んだりしたものだが、すぐに面倒になって、単に押す人になった。iPodを聞き始めた。ちょうど大塚愛の「さくらんぼ」が流れている。
路線バスもひっきりなしに私を追い抜いて行く。
道は狭い。私はテールランプを点滅させて、少しでも自分の存在をドライバーにアピールした。
15時半にお水とバナナを食べて頑張ろうと思ったが、私はまだ押す人だった。軽トラックのおっさんと少し話した。寒くない?と聞かれた。
「暑くて死にそうです」
私はこう返事した。
いきなり道路の左側に箱根旧街道という細道が現れた。
「あ、近道かな」
行ってみよう。
これがいけなかった。
この道は昔の東海道を記念して作ったもので、いわゆるレプリカのような存在だった。ただの散策路なので自転車を押しながら上るのはすごく大変なことだ。
何でこんな道に入ったんだろう。アホか。
周りがだんだん暗くなり始めた。こりゃやばいなぁ。まさか箱根で野宿することはおこらないだろう。この気温なら間違いなく死ぬわ。一応自分なりには急いだんだけど、間に合わなかったみたい。
17時半、国道1号の最高地点に到達する。海抜874メートル。ラーメン屋を見つけて醤油ラーメンを食べた。実はラーメンが食べたかったよりは人と話がしたかった。携帯の電池が切れないように気をつけているから電話のおしゃべりは全く出来ない。
頂上から走り下る時はもう真っ暗だった。時間は18時半。これじゃ静岡まで行けそうもない。体力はだんだん落ちる。874メートルという高さは私の登山記録に照らし合わせてみてもずいぶん高い。もしかすると最高高度ではなかろうか。そんなところに自転車で。
いずれにせよ最高地点ということは、よーし、ここからは下りだな、と思って自転車にまたがるが、別にそういうわけでもなく、それから一時間ほどは乗ったり押したりの緩慢な繰り返しが続いて(芦ノ湖畔を通っていたようだが靄と暗さで見えやしない)道の駅 箱根峠に到着し、お水を飲んで休憩する。
休憩の後スタート。下り坂が始まる。
19時、島田市に入る。そうだ、ようやく静岡県だ。
しかしそんな感慨よりも箱根峠を越えた喜びのほうが大きく、私はとても大きな声を出してみたりした。下り坂は1時間程度続いた。その間、ペダルを踏むことは一切なかった。私は自動車と同じぐらいのスピードでくだりおりた。カーブなどでは自動車を凌駕するスピードを見せたが、追い抜いてもまた直線で抜かれるだけなので、勿体ないがブレーキング。
三島市と沼津市をあっという間(といっても1時間半ぐらい)にパス。私の筋力が強いからというよりは箱根からの運動エネルギーがまだ残っているからだ。
22時、富士市に入った。
おなかすいた。
足も痛い。
どこかで休みたい。
でも周りは工場とダンプトラックだらけで休めそうな場所は全然見当たらない。1時間あまりを走ったらマクドナルドが見えてきた。ドライブスルーではなくて普通のマクドナルドだ。ということは周りに人の行き来が多いということ?
マクドナルドに入ってハンバーガーと事前に用意したバナナを食べながらあたりをきょろきょろ見回してみた。大きいネットカフェが見える。よし、今日はあそこに泊まろうか。料金プランが小田原より安い。8時間夜間定額プランが1200円だ。やった。
2008年12月29日の走行距離
小田原駅→吉原駅(富士市)58km
【3日目】2008年12月30日
旅行もそろそろ3日目に入る。体が旅に慣れているのかと思ったら大間違い。30日の朝も1時間追加料金を払ってしまった。
朝9時出発。出る前にネットカフェの個室を撮ってみた。こりゃ典型的なネット難民だ。まぁ、1人だからこんなことも出来るんだろう。
この日はずっと東海道を走るだけだ。目標は浜松市。時間があまりないから頑張らないと間に合わない。富士駅-富士川町-由比町-静岡市の順番で走り出した。
天気もいい。バナナはおいしい。 iPodでは矢島美容室の歌が流れている。
神奈川県では夜だったので見えなかった海が見えてきた。
昼食は由比町の名物という桜海老のから揚げに決めた。ちょっと贅沢だが、せっかくだし今後もわざわざ由比町まで桜海老を食べに来ることはないだろうと思ったからだ。
桜海老のお店の人が自転車のカゴの前の紙を見て「頑張ってますね」といいながら桜海老を少し持っていきなさいと言ってくれた。有難いがカゴに余裕がない。そして絶対腐ってしまう。「気持ちだけ有り難くいただきます」と言ってその店を出た。今度は車で来よう。
14時、静岡市街に進入。かなりおしゃれな街だ。久しぶりにデパートを見て文明圏に戻ってきた気がする。西へ西へ進んだら新幹線が見えた。JR東海道線も走っている。
あれに乗ったら浜松まで楽に行けるのに。電車に乗っちゃおうかと言う誘惑が心を支配し始める。いや、駅に入るのが面倒くさい。とりあえず走ろう。
体に疲労がたまっているせいか速度が出ない。お尻が痛い。地名の漢字も読めなくなってきた。ローマ字の表記が有難い。藤枝市を通って島田市も通った。地図を見たら148Mの何とか何とかという峠がある。金谷駅からはこの峠を通らないと掛川市までいけない。
時間はもう19時、周りは真っ暗で誰もいない。少し心配。急に寒くなって街灯の数も減ってきた。まぁ、進むしかないかと心を引き締め、金谷駅から自転車を押し始めた。箱根の場合は下りは真っ暗だったけど登りが昼間だったので大丈夫だったが、今回は違う。ものすごい怖い。
20時、やっと頂上に着いた。
すごい風、わけのわからない不安で疲労は倍になる。急に変な音が聞こえ始めた。空耳だ。神社の鳥居の周りでは幻が見える。最悪だ。慌てて速度を出して下ったらいきなりフロントライトの前に動物の死体が現れた。「あああああああっ!」と叫びながらハンドルを右に回し、自転車から落ち転んでしまった。その時から怖さが恐怖に変わってきた。早くここから抜け出したい、と思ったら目の前に出るのは長いトンネル。トンネルの中は風が強い。ほこりも半端じゃない。でも進むしかない。抜け出そう。
郷ひろみの「BOOM BOOM BOOM」を大きい声で歌いながら走り出した。
筋肉と肺が裂けそうだけど、恐怖よりはましだ。
30分ぐらい走ったらコンビニが見えてきた。涙が出るほど嬉しい。
その調子でずっと走り出して掛川市を通った。天竜川も通った。かなり長い橋。ああ、浜松だ。
もともと浜松市外なんて入る予定はなかったので石原交差点でそのまま直進し、316号県道を走った。これが旧東海道。ここの国道1号はバイパスになっていて自転車が入れない。いろいろ面倒くさいな。
時間は23時半、周りのどこを見てもネットカフェなんか見えない。ものすごい田舎だ。仕方なく誰もいないビニルハウスに入ってこっそり寝ることにした。汗が冷えてすっごいさむくなってきた。まさかこれくらいで死なないだろう。
2008年12月30日の走行距離
吉原駅(富士市)→浜松市大柳 123km
【4日目】2008年12月31日
朝7時、まだ死んでない。よかった。
お風呂入りたい、顔でも洗いたい。ウェットティッシュで顔だけ適当に拭いて出発。旧東海道を走り続けた。逆風がすごくていくらペダルを踏んでも自転車が前に進まない。
舞阪駅を過ぎたら松並木の旧東海道が現れる。すごく走り心地がいい。
11時。次は弁天島、ようやく浜名湖だ。うなぎ丼を食べたいけど、そうしたら今日中に鳥羽港に入れない。すぐそばには新幹線が走っている。まだ帰りたい気持ちは山ほどだけど我慢する。もう少し頑張ろう。
新居町からは東海道と42番国道が分かれる。ここから42番国道で伊良湖岬まで直進だ。小さいお店でバナナを買って4個を一気に食べた。
おばあさんから「どこまで行く?」と聞かれ、「伊勢神宮までおまいりですよ。」と言ったらパンをもらった。ああ、涙でそう。ありがとう、おばあちゃん。
42番国道は緩い丘が続く道だ。これが予想外に体力が消費されてしまう。上りは大変で下りもあまり速度がつかない。道路も凸凹で腰とお尻にすごくプレッシャーがかかる。何だ、いったいこの道は。
13時、豊橋市だ。愛知県に入ってきた。まっすぐの道が続いている。面白くない。海も見えない道をただただ走る。おそらく海岸沿いには太平洋岸自転車道があるのだろうが、入口も見つからない。
15時、田原町。1時間に1回の休憩と決めていたはずが、気づかないうちに30分に1回になっていて、どうも体力の消耗を感じる。
15時25分。赤羽根町。なにも面白いことはない。すでに最終地点が目前に迫っていたからかもしれない。すべてのことがかったるく、はやく到着すればいいのに、という感情だけで走っていた。
渥美町に入る(ちなみに、伊良湖岬は渥美半島にある)。太平洋岸自転車道の入口が見えるが、自転車道まではキロ単位で離れていたから入らず。つまり海は今だに見えない。
16時、ようやく自転車道が近づいたし、伊良湖岬まで10キロを切ったのでようやく自転車道に入る。
うわー、久々の海だ、というか海しかないじゃないか。店もないじゃん。残り10キロだからいいか。誰ともすれ違わない道をひたすらちんたらと走る。確認するすべがないので、時間的にフェリーの時間に間に合うのかどうかは知らないまま、無意味に焦りながら走る。
ふとみたら今年最後の日没だった。これは撮らないと。明日の日の出と一緒に残そうと思い、写真をとった。
岬に近づいたところで、変にぐねぐねとした上り坂。超えるかなと不安になったがあっという間に頂上、スイスイ下っていくうちに、地下道に入った。そこからは地図も何もいらず、眼に見える景色を信じて走るのみだった。
17時45分、道の駅クリスタルポルトでもある伊良湖岬フェリーターミナルに到着する。
切符売り場に行くと、鳥羽へ行く船はあと1便しかないということだった。あと30分遅れたらどちらにも乗れずここで野宿をするところだった。いやあ、うなぎ丼食べなくて正解だった。というわけで18時10分発の、最終便で伊良湖を出発した。体が臭かったので船室に行かずにデッキの椅子に腰掛けた。寒いな。
19時10分、鳥羽に到着。自転車付の料金は2500円、ありがとう、フェリーさん。
ここからは地図に載ってないタウンだ。新天地というか、よくもここまで来たなぁと思った。ゲーム感覚だ。あと少しで目標地点、伊勢神宮だ。鳥羽市街の観光案内版を見たら伊勢神宮は内宮と外宮があるらしい。初めて知った。まぁ、外国人だからいいか。
20時半、いったん夫婦岩のほうまで行ってみたが夜だから何も見えない。明日のために近所の民宿に泊まることにする。チェックインするとき、あるおばあさんから一人旅さびしかったら宴会にでも遊びにきたら?と誘われ、30分ぐらい赤の他人の宴会で遊んできた。「川の流れのように」を覚えていてよかった。
温泉にも入れ、年越しそばも食べられた。朝食付でおせち料理も食べられそう。
自分へのご褒美だ。今日はゆっくり休もう。
2008年12月31日の走行距離
浜松市大柳→伊良湖港 74km
鳥羽港→夫婦岩 11km
【5日目】2009年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
朝7時、日の出を見た。何か感動。今年も頑張ろう。
朝8時、おせち料理と年明けうどんを食べた。最高だ。
9時、チェックアウトし、神宮に向かって出発。
いつも写真で見ただけの夫婦岩を本物で見たらものすごい迫力が伝わってくる。お正月に夫婦岩。縁起がいい。
10時半、伊勢神宮(内宮)についた。参拝の為トイレで少しまともな服に着替えもした。いくらなんでもジャージでお参りはひどすぎると思ったからだ。
内宮神楽殿から並び始め、正宮に至るまで何と5時間もかかるそうだ。
こんなに人が集まるとは思わなかった。判断ミスだ。天照大神様も年末年始には忙しいな。
昼食も食べられずに時間が過ぎてしまった。早くお参りして帰らないと間に合わないのに。でもせっかくここまで来たのに帰るわけにはいかないだろう。
私の前には今年成人になるように見える可愛いお嬢さんが振袖姿で立っていた。気がついたら私はそのお嬢さんの肩に頭をもたせかけて立ったまま眠っていた。
15時半、やっとお参りが終った。
「今年はみんなが幸せになりますように。さっきのお嬢さんと東京で再会しますように。」
参拝後、絵馬とお守り、剣祓(剣先の形をしたお札)を買った。おみくじはなかった。「神宮」というタイトルを持っている場所ではおみくじは扱わないそうだ。絵馬を飾るところもなく、家に持っていくことにした。
慌てて帰りの準備をした。赤福を買いに行ったらもうほとんど完売。なんと私を最後に売り切れになった。今年はいろいろいいことがいっぱいありそうだな。
東京から自転車でお伊勢参り~復路編~
たった半日間伊勢にいただけなのに、別世界にいるような気がする。このまま東京に戻ったら浦島太郎になるのではないかな。でも頑張っていかないと帰りが間に合わない。
2009年1月1日15時30分、帰りのスタート
とにかく走るのだ。徹夜で走らなければならないかもしれない。
16時半、鳥羽フェリー港についた。17時40分のチケットを買って出発4分前に船の中にゴールした。人がいっぱいだ。でも気にせずにスリーピング。今のうちに睡眠を補充しないと走れないかもしれない。
17時40分、静かだなと思い、ふっと目覚めたら最後の乗客が客室を出るところだ。びっくりして私も客室を出る。
再び戻った伊良湖岬は暗くなろうとしている。でも泊まることは許されない。走ろう。
【6日目】2009年1月2日
午前2時、42番国道を走り、浜松に戻ってきた。今からは再び東海道、大名の参勤交代の再現だ。
しかし何の感懐もない。浜名湖だって真っ暗で何も見えない。早く文明社会に戻りたいという一念だけ。神宮のパワーが体内にいっぱい注がれたみたいで全然疲れてない。
7時、神宮から遠ざかるに従い、神宮のパワーが薄くなってきたようだ。私が自転車に乗っているのか、自転車が私の背中に乗っているのか分からない。このままじゃ東京に着く前に過労で死ぬかもしれないと思い、少し休むことにした。でもなかなか休める場所が見当たらない。マクドナルドが見えてきた。ここなら休めるだろう。100円でコーヒーを注文し、飲みもせずにぐっすり寝込んだ。
9時30分、休憩終わり、出発。
恐怖を感じながら越えた掛川の峠も朝にはほかの峠と同じ。風もあまり強くなくてあっという間に超えてしまう。
18時、静岡市。誰も迎えに来てくれない。それにしてもさびしい旅だな。頭の中では止まらずに時間と距離の計算が行われている。こんなに一生懸命数学の勉強したことあったけ。
22時、富士市についた。もう疲れてペダルを踏む力も残っていないのに伊勢に行く時とほとんど同じ、あるいはそれ以上のスピードが出るのは風のおかげだ。冬には北西風が吹くということは小学校に勉強したことなのに、それが今ここで体感できるとは思わなかった。
【7日目】2009年1月3日
24時を過ぎても走りは止まらない。帰りは箱根を越えないので負担がない。箱根駅伝のお陰だ。
25時半、沼津市の大岡についた。ここからまた東海道とお別れだ。東海道さん、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
246国道は東海道のようなスリルはない。高くまで登ることはないがなだらかな坂道が続くのが大変。しかも遠回りするので東海道よりかなりの時間がかかる。車も走らない、人もいない道を一人で走る。もう恐怖なんかどうでもいい。坂道が出たら自転車から降りて自転車を押し、下り道は乗って走るだけだ。機械的に同じ動作を繰り返すうちに携帯の電源が切れた。ipodの電源もあと20パーセント。
7時、御殿場市に入った。御殿場の漢字を読む瞬間、御殿場プレミアムアウトレットが頭に浮かんでくる。なんてことだ。まだ買物への意欲は残っているのか。もう少しで神奈川県なので、頑張って走ることにした。コンビニの数が増えた気がする。街を歩いている人数も増えてきた。やっぱり朝はいいな。気になるのは自分の格好。
8時半、デニーズを見つけた。適当にスパゲティを注文して携帯を充電した。液晶の中に埃が入ったようでものすごく気になる。東京に戻ったらアップルストアに行って交換してもらおう。1時間半ぐっすり寝た。店員さんの視線を感じ、目覚めたら慌ててお会計をしてその場を去った。
箱根ほどはないけどまた峠が現れてきた。最初はこれぐらい楽勝と思ったけど、そうでもない。さりげなく自転車から降りて押し始めた。トンネルが相次いでいる。車が私のそばをすれ違う度に凄い埃が浮いてくる。息苦しい。
およそ5時間を乗ったり押したりしてぼんやりと進んだ。写真なんか撮りたくない。
午後2時、田舎の八百屋に入った。林檎を2個買って洗いもせずにその場で食べたら周りの人が化け物を見るような眼で私の方を眺める。八百屋のおばさんが話かけてきた。
おばさん:「家出したの?お坊さんには見えないけど。」
私:「はい?」
おばさん:「リンゴぐらい洗って食べた方がいいよ。そして君、覚えのない顔だけど、どこの人?」
私:「旅行中です。伊勢まで自転車で行って、今は帰りです。」
おばさん:「本当?!何でそんなことすんのよ。」
私:「まぁ、人生自体が旅のようなもんでしょう。」
おばさん:「あんたいいこと言うわね、良かったらこのみかんも食べて。水はいらないの?」
私:「あ、ありがとうございます~頂きます。」
田舎心はまだ残っていたのだ。約1000円分(田舎で1000円分のミカンはかなり多い)のミカンをいっぱいもらってしまった。金を払おうとしたら「供養したことにするわ。お金はいらないよ」と言われた。いきなりお坊さんにされてしまった。困ったな。
18時、厚木を走っている。だいぶ文明圏に入ってきた。人間って2日ぐらい寝なくても平気だなと思い、自分に感嘆した。
そして20時半、東京入城。出発と同じのように二子玉川のほうで東京に入ってきた。心配した浦島太郎のような事態はなかった。みんなが福袋を持ってギャギャ笑いながら街を歩いていたが、私はとてもお正月にはふさわしくない格好だった。
23時、おうちへゴール。新年を招き、大清掃をしてお風呂に入った。極楽だな~
寝る前に神宮の絵馬に真心をこめてお願いを書いた。疲れているはずなのに全然眠くない。絵馬を前にしていたら心が清らかになるような気がする。2009年は年明けからいろいろ大変だったが、その苦労が甲斐として戻ってくるように。
みんなが幸せになる1年になるように。
神宮で会った女の子と再会出来るように(これはちがうな)。