FUJIMURA CONTEMPORARY ART.の毎年恒例海外ツアーの『台湾編』が、10月末に終了しました。総勢20名の旅。今回はスタッフブログではなく、お客様から寄せられたユニークなブログにて、このツアーのご報告をさせていただこうと考えました!
トップバッターは、エイキさん。当ギャラリーのブログには何回か投稿下さったレポート上手なお得意様です。どうぞお楽しみ下さいませ。
今回は羽田から台湾まで移動との事!みんなで集まり、今回一緒のメンバーと合流2泊3日の旅がスタートした。
機内で昼食をいただいたが、軽い?コース料理になっていて、デザートのハーゲンダッツのチョコ入りまでおいしくいただけた(日本からだと味噌汁が提供されるのはうれしかった)
台湾は、沖縄より南に位置しているので熱いなと思っていたが、到着するや否や夏が戻ったのかと思うよな気温を感じ機内を後にする。
バスに乗り込み中正記念堂へ向かう、途中の街路には広い中央分離帯があり街路樹の陰で作業をしている人の姿や、スクータで行きかう人々を見ながら台湾を感じる。スクータの多さと二人乗り当たり前中には親子で三人乗りも、しかし、みんなきちんとヘルメット着用していることに驚きを隠せなかった。
中正記念堂到着後、写真を撮り館内へ、今年の夏の集中豪雨で補修中の為階段を使用出来無かったが、蒋介石の生涯をしのび4つの節目の生涯を表した階段を上っていくことも出来るそうだ。
館内へ入ると天井の高さに驚いたが、天井の四角い升の中には何か文字らしきものがよく見ると、中正記念堂の文字になっており天井一面に配置されている。圧巻だった。
館内に展示された蒋介石氏の遺物を眺め、お奥さんの話(宗家の三姉妹の一人で華麗な夫人で、英語も堪能だったそうで秘書を務めてたり、山水画が書いたりと多彩な方だったようだ、後で映画を見返して見たいと思った)を聞き時間になると、衛兵交代の儀式を見に4階へ。1時間に1回の交代で中正記念堂の観光の目玉になっている。
歩くタイミングも音楽も拍子もなくよくここまでそろっているものだと思う。交代後は1時間も微動だにせず蒋介石像の前で季節を問わず立っているとの事でその大変さをしみじみ感じてしまった。
衛兵交代を見学した後は総督府の脇を走り龍山寺へ、屋根の上のドラゴンボールとパイナップルの話を聞き青竜の門から白虎へ抜け、いつもみにつけるものにパワーを移すコツなどを伝授してもらった。
日本と違い、台湾では願いが成就することでお賽銭や供物を捧げるのが現地流との説明を聞き神のあり方にびっくりした、日本以上に狭い敷地にご利益のある像が複数祭られており風水を利用しパワースポットとして人々の信仰を集めているらしい。
なお、お供えは各自好きなものを持ち寄りお供えし、帰宅の際に持って来たものを持って帰るそうだ。日本のようにカラスに狙われることもなくいい習慣だと思った。
免税店で買い物を楽しみ、ホテルで一休みした後は点心の夕食をいただきに鼎泰豊(テイタイフォン)へ。アツアツの点心を期待して皆ワクワク期待モードに、いざ食卓へ。野菜餃子は空芯菜たっぷりで日本では絶対食せないものだったので本日お気に入りの一品だった。
その後、台北101に移動し展望台で台湾の夜景を鑑賞、設置されているパネルで現地鑑賞ポイントをチェック。日本語のガイドもあり昼から夜間へ風景の移り変わりも楽しめる、見たことのない案内が360度パノラマを楽しみながら景色を堪能した。展望室に併設された紅サンゴの展示の見事なことタカと宝船は一見の価値がありだった。
その後、時間があったので、マッサージと2次会組にわかれて行動、僕はもちろん2次会へどこで食べるのか楽しみにしていると、ガイドさんお勧めの台湾の料理屋へ、地元料理だけあって香草(パクチ)たっぷりの料理をいただきました。
現地の人が料理の後に飲む烏梅汁を進められ皆でいただきましたが、乾し梅を燻した様な味わいが何とも言えず皆リタイヤする中で原液を飲み続けました。酒でも飲まないと皆いただけない罰ゲームの様な液体でしたが、朝用にもらってホテルに帰りました。
翌朝、残った濃い烏梅汁をいただきましたが、しらふで寝起きに飲むととんでもない目覚ましでした。気分治しに朝の散歩に出かけました。地理が良くわらかなかったのでホテルの近くをぶらぶらすると、三越や映画の記念館らしきものがあり、横の路地を進むと香港のように張りだした窓や、もう人が住んでいないような建物と摩訶不思議な景色が広がっていました。
2日目は待望の故宮博物院見学です。青銅器時代の遺物から始まり陶磁まで中国美の数数を見られると思いきやあまりの品数の多さに会期を分けて展示しているとのこと、お目当ての白菜や豚の角煮は常設展示で、いつでも見られるとのこと期待を胸にいざ館中へ、すごい混みよう中国本土の人や韓国の人が押し掛けてました。
列に並びながら、青銅器・輝石の工芸品・象牙などの工芸品とコーナーを皆で回った最後に陶磁器コーナーまでたどり着き解散、ゆっくり回ったら1日はかかったろうと思う。至福のひと時だった。
展示されていた銅鐸だが平泉に同じミニチュアが版があることをご存じだろうか、日本と中国が遣唐使や遣隋使など以外にも、中国と交易をしていた歴史があったことに文献だけではわからない歴史を感じました。
この旅行中とても残念だったのが九份観光で、雨に濡れながらの観光となりました。途中でバスを乗り換え九份へ、土日は観光客が多いので上高地なみに車を規制してるらしい。
九份につくと、九家族しか住めないような場所に金が取れたことから発展したということを納得させるように、駐車スペースもなく崖にへばりつくような景色がまっていました。規制はこのためかと納得の狭さでした。
金が取れなくなってさびれた地に再び光をあてたのが、台湾映画「爆裂都市」と「千と千尋の神隠し」だったとゆう場所だったので映画好きの僕には興味深かった場所です。
有名な提灯
細い坂道の両側に軒を連ねる数々の商店、イモや海鮮の団子が名物というがあまりの混雑(雨で傘の花が咲き乱れる中)坂を上る。途中、テレビで紹介されていた、オカリナおじさんとは会えるかと思ったが当日は休みらしく、オカリナおにいさんがジブリの曲を吹いて人集めをしていた。
団子屋の1つは千尋の両親が豚になるきっかけになった場所を思わせる場所でした。
雨がやまないので、ユバーバーの湯屋のモデルになったというところで、テイータイムを楽しみました。
ここに、能面が下げてあったことから、宮崎駿が興味を持ち店主に由来を聞きながら「千と千尋」の構想がかたまり、能面の1つが顔無のモデルになったといわれているらしいです。
後ろにある洋館が「ハウルの動く城」の一部に使われているのではと聞き和・洋・中が混ざり合う不思議な空間を楽しみ、出てきた茶菓子を食ながらここをスケッチをする、宮崎駿に思いをはせました。
雨が小降りになってきたところでティータイム終了、お茶を楽しんだところより坂を下ったところにある建物がより「千と千尋」にでてきた建物らしかったです。
夕食の台湾料理はバイキング形式だったので、好きなものをとってきて堪能したが、博物館で見た豚の角煮が忘れられず、すかさずとって来て味を堪能しました(笑)しかし最も印象に残ったのは、「青葉新楽園」がある場所。
腹も満たされちょっと外のトイレ出ると、何やらセリフが聞こえてくるので回りを散策すると、倉庫のような建物の中で、創作活動中の若者たちや展示物ががあったり、若きアーチストの息吹を感じさせらた。
小屋では演劇を披露しているようだった。表の広場に出ると映画の上映中の真っ最中、声の正体はフランスものと思える映画だったが字幕が中国語では何を言っているかわからず夕食会場まで引き返した。
いよいよ最終日。今日は出発まで自由時間同室の田代さんと公園散歩に出かける。約20分くらいで公園到着最終目的地の美術館開館まで時間があったので公園散策、花の隧道を抜けて2つ目の花博会場へ、最初に上から見たら何か意匠が施されている場所を散策し、迷宮花園に何も考えず入ってみたら見事に迷って結局入ったとこから外へ、木造の見晴台を経由してクジラをかたどった木の前を通って引き換えし、美術館へ、しかし月曜日で休み残念だった。
まだ昼食の集合時間には間があったので、引き続き散策、道を跨いだ会場へと足を延ばす。
もう、展示終了かと思っていってみると、盆栽の展示会をしていた。入り口の広場には花博のユルキャラが6体ほど確認出来た。盆栽会場に入って盆栽を鑑賞したが、日本より5倍は大きい盆栽に圧倒された。
盆栽にミニチュアをのせ箱庭風に纏めた作品等を楽しんでいると、墨流しを利用して絵を描いていると思しき一画があり、そのカラフルな墨絵を堪能した後、石の形を何かに見立てた作品に出合いある種アートをを堪能できたのが今日の収穫だった。
今日の昼食は四川料理、三越の近くの店に移動して料理を楽しんだ。2品目に出たモツの炒めものがとても辛かったが、それ以外はさして辛くはなく、マーボ豆腐に至っては山椒とラー油で辛さの調節をしたほどだ、社長自ら横浜最高のマーボ豆腐の辛さを再現してくれたが山椒の粉っぽさが喉に残るものだった(>・<+)
四川料理を堪能して今回の旅行は終了したかに思えたが、最後にお土産店をまわり残金調整、400元で3000円位になるということで、100元単位の端数と小銭をできるだけ使った。結局100元余るのでストラップを購入し買い物を終了した。
その足で空港へ記念撮影をを行い機内へ、機内で出た夕食をいただき今回の中国料理食歩きツアーは終了した。食いに食った楽しい旅だった、もちろん勝手に除いたアート空間も十分に堪能できました。また機会があれば皆で楽しいツアーを楽しみたいと思います。