今、上野の国立西洋美術館にて『ラファエロ展』を開催しています!私は告知されていた「大公の聖母」を観てみたいと思い行ってきました(^◇^)
ラファエロが生きた500年前から現代にいたるまで、絶大な人気を誇ってきたにも関わらず、作品が貴重なため、大規模な展覧会の開催はヨーロッパにおいてもこれまで極めてまれでした。
それがついにこの春、日本で実現!
その内容とは油絵を中心に20点を越える作品がヨーロッパ各地から集められました展覧会となっています。
「ラファエロ展」について
このラファエロ・サンツィオは、「聖母子の画家」「イタリア・ルネサンスを完成させた画家」としてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、ルネサンスの三大巨匠で有名です。
父親が宮廷画家だったことにより幼い頃から絵画教育を受け、またさまざまな画家たちから新しい技法を吸収し、上流階級の人々と接しながら成長しました。
経済的には恵まれていましたが、8歳のときに母親を亡くしています。崇高で神聖な聖母子を描いたのは、早くに亡くした母親を慕う想いと憧れの表れであったともいわれています。
若い頃から多くの肖像画の依頼を受けていた彼は、1504年にフィレンツェに拠点を移すとそこでさらに自分の芸術性を高めました。
その後ローマを訪問し、1509年には教皇ユリウス2世に依頼されて、ヴァチカン宮殿の「署名の間」と「ヘリオドスの間」壁画の制作を手掛けました。
この制作を彼はわずか3年で完成させました。この出来栄えは、教皇がヴァチカンの仕事を全て彼に任命してしまったほど見事なものでした。
同時期に彼はサン・エリジオ・オレフェチ教会の設計をし、建築家としての才能も発揮し始めます。
その後いくつかの教会の設計をてがけ、かつ多くの肖像画も描いていきます。
この時期が自らの様式を完成させた彼の芸術家としての円熟期でもありました。彼の傑作の多くはこの時期に創作されたものです。
名声とともに地位も確立されていきました。
1514年にはサン・ビエトロ大聖堂の主任建築家に、そして1517年にはローマ古物監督責任者に任命されます。
果てなく続くかと思われたラファエロの活躍は、1520年にあっけなく終わってしまいます。
彼が熱病によりこの世を去ってしまったからです。その日は彼の誕生日でもありました。
わずか37年の間に偉大な業績を残した彼に、ローマ市はパンテオン内部に墓を寄贈しました。
世紀の天才芸術家は今もそこで眠っています。